May 12, 2018

私は大学時代人形町のピアノラウンジでピアノ弾きのバイトをしていた。一応女の子はいたが変わったお店でとにかくジャズ(ぽぃ)を弾いててくれればいいというので、ジャズぽぃ即興を適当に弾いてた。そこへ週一くらいで通ってくる「先生」という人がいた。私が休憩のときにその先生と話すわけだが、話がやけにかみあう。その頃ちょうど芸祭のためにそれこそメディアアートというものに仲間で取り組んでいたのでナム・ジュン・パイクのようなビデオアートを流したい、というような話をなぜかピアノラウンジで語ってた。あの頃はブラウン管のモニターをいくつ積めるかが勝負みたいな時代だ。その名も知らぬ先生が「今度僕が本出すからその帯のキャッチコピーを考えてよ」という。「メディア時代の天神祭」というから「買うはヨイヨイ読んだらコワイ」とその場で考えた。実は「ほんとに本出す?」とか思った。それが私と山口勝弘の出会いだったわけで大学で習った訳でも講義を受けたわけでもない。先生はほんとに先生をやってるというので筑波大学までバスで行き、ワークショップなどには頻繁に顔を出し、芸大との違いを羨ましく思ったり、銀座の事務所のそうめんパーティで(なぜか皆でそうめんのみズルズル食べるパーティを定期的にやってた)知り合ったクリストフシャルルやモリワキヒロユキとヨーロッパを周ったりと急激に作曲家的な活動からパフォーマー的発想に自分がなっていった。そうそう、その銀座の事務所は階段が急勾配で頭がスレスレの天井低いところだったが「アナグラみたいでいいんだ、アジトってのはこうじゃなきゃ」みたいに言ってた。こうしていっときユニットのように山口勝弘とはパフォーマンスを一緒にすることになった。(クリストフシャルルの山口勝弘アーカイブはものすごく綿密にできてて素晴らしいので参考にしてくださいhttp://yamaguchikatsuhiro.musabi.ac.jp/

ヨーロッパを周ってたときの山口勝弘の荷物のパッケージは非常に美しく完璧だったのが印象的で、毎度採寸し木箱でぴったりで物凄いのを特注で作るのだ。私は若造だったしそんなお金もないので「使い捨てのパッケージにもったいない、、」と内心思ったがある時「パッケージとか額縁ってのはねとっても大切。額縁次第でどうにでもなる、パッケージが届いたときからがパフォーマンス」と額縁論をクドクド語られた。まあ、...

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